わたしが死んだ日
 お父さんはうちの縁側で
 空を見上げてタバコを吸っていました。

 お父さんの吐き出す、白い煙は
 いつもよりも長く、ふわふわと、
 上から見ていたわたしのところに届きます。
 いつもの生き生きとした目ではなく、
 気の抜けた目で、空の私の方を見ています。

 ふわふわ
 ふわふわ
 煙とともに、わたしは漂います。
 ふわふわ
 ふわふわ
 わたしは死にました。

 お父さんはわたしが見えません。
 お父さんは空を見ています。
 お父さんはわたしが見えません。
 ふわふわ
 ふわふわ
 わたしは死にました。

 空を見上げてお父さんは言います。
「馬鹿な娘だったなあ……」
 その通りでした。
 お父さんには迷惑をかけました。
 迷惑をかけた上に死んでしまいました。
「あんな小僧と一緒になるなんてな」
 それは違います。
 朋也くんはいい人です。
 こんなわたしと付き合ってくれました。
 こんなわたしに幸せをくれました。
 こんなわたしに子孫を作らせてくれました。
「本当に、馬鹿な娘だった……」
 それはその通りです。
「………………」
 そんな表情のお父さんを初めて見ました。
「これからあの小僧に幸せにしてもらえるってところでよ……」
 お父さんの声は、少しだけ鼻にかかっていました。

 もう、お父さんにはわたしは見えません。
 りっぱな娘ではなかったわたしのことをずっと考えていてくれました。
 たとえ、普段は不真面目に見えても。
 とても、真剣には見えなくても。
 お父さんはずっとずっとこの家を
 るすにもせずに、私を待っていてくれました。
 様子をいつも見てくれていました。
 愛情、という言葉ではすみません。
「しかし、早苗と俺に似て可愛かった」
 てれるのであまりそういうことは言わないでください。
 いま、私に出来ることはありません。
 まったく、姿も見えません。
 すこしだけ。
 ほんのすこしだけでいいです。
 わたしに、光をください。
 ちゃんと、お父さんが歩いていけるように。
 やっと、わたしから解放されたお父さんが。
 幸せを自分の中に見つけられますように。
 むりして笑って生きて行かずに。
 らくに、ちからを抜いて、新しい人生を歩いていけるように。

 ふわふわ
 ふわふわ
 タバコの煙が漂います。
 ふわふわ
 ふわふわ
 わたしが漂います。
 ふわふわ
 ふわふわ
 ふわふわ
 ふわ
 小さな光が漂います。
 小さな光が、私を包みます。
 小さな光が、大きくなっていきます。
 小さな光が、タバコの煙を消して行きます。
 小さな光が、お父さんを包みます。

「……ん? 何だ、この光は?」
 お父さんの声が聞こえます。
「お父……さん……」
 わたしの声が聞こえます。
「……え?」
 死んだはずの、わたしの声が聞こえます。
「な……ぎさ……か……?」
「お父さん……」
 届きます。
「渚!」
 わたしの声が、お父さんに届きます。
「お父さん……」
「どこにいるんだ!」
 目の前に、います。
 わたしの声が、お父さんに届きます。
 でも、わたしは死んでいるので、姿は見えません。
「お父さん、今までありがとうございました」
 これが、最後のチャンスです。
「お父さんの娘でいられて、本当に良かったです」
 お父さんにわたしの言葉を伝える、最後のチャンスです。
「本当に、渚なんだな!?」
 だから、わたしは一番伝えたいことだけを、言います。
「お父さんにお願いがあります」
「ああ、聞いてやる。聞いてやるから! どこにいるんだ! 渚!」
 立ち上がり、辺りを見回すお父さん。
「わたしは、もう見えません。言葉だけを聞いてください」
「……わかった」
 お父さんは光に向いたまま、座りました。
「お願いを、聞いてください」
「わかったから、とっとと言え」
 お父さんは急かします。
「朋也くんを、助けてあげてください」
 わたしは、伝えます。
 一生懸命、伝えます。
「朋也くんに、しおちゃんを押し付けてしまいました」
 少しずつ、光が弱くなっていきます。
「わたしのわがままで産んだのに、朋也くんに育てさせてしまうことになります」
 わたしの声が、永久に伝わらなくなります。
「どうか、朋也くんとしおちゃんを、お父さんの家族にしてあげてください」
 わたしの声が。
「わがままな娘でごめんなさい……」
 聞こえなくなります。
「もう……いちど……いい……ま……す」
 最後の言葉は届くでしょうか。
「……わた……し……は……あな……たの……む……すめ……で」
 光が消えていきます。
「し……あ…………わ………………」
 ………………。
 光が消えました。
 もう、伝えることは出来ません。
「ふん。言いたいことはそれだけかよ……」
 お父さんが、少しだけ不機嫌そうに言います。
 わたしは、もう行かなくてはなりません。
「そんなこと、言われなくてもそのつもりだったさ──」
 ありがとうございます。
 みんなで始めてください。
「ったく、渚め……」
 わたしのいない家族を始めてください。
 お父さんがぼんやりと見えます。
 遠くに見えます。
 わたしは行かなくてはなりません。
「お前こそ、俺にとって最高の娘だったよ」
 ああ。
 遠くでお父さんが笑っています。
 さようなら、お父さん。
 わたしはこれで終わりです。
 ですが、わたしが終わることで
 きっと何かが始まります。
 しおちゃんは、その最初の始まりです。
 さようなら。
 さようなら、わたしの家族。


 わたしが死んだ日
 お父さんはうちの縁側で
 空を見上げてタバコを吸っていました。







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