久 方「……この2年間……本当に楽しかった……」 目を……ゆっくりと開けながら話しかける。 久 方「誰かに必要とされることが、あんなにも嬉しいことだと教えてもらった…」 久 方「目に映るもの……聞くこと……過ごす時間……」 久 方「毎日が新しかった……」 久 方「……本当に……」 久 方「本当に……楽しかった」 久 方「いつまでも続けばいいと思った」 久 方「いや……続けることができると思っていた」 久 方「おまえとなら、うまくやっていけると思っていたんだ……」 久 方「……でも……俺は……気づいてしまったんだ……」 久 方「おまえを通して……誰を見ていたかってことに……」 久 方「最低なことをしてるのはわかっていた」 久 方「甘えていた」 久 方「おまえのやさしさに甘えてズルズルと……」 久 方「おまえのことを傷つけるだけの時間を過ごしてきた」 久 方「一番卑怯だったのは俺なんだ」 久 方「俺がはっきりしなかったから……おまえを傷つけるようなことに……」 久 方「おまえの側にいながら……おまえを見ながら……」 久 方「──俺は……っ……」 言葉が喉に詰まる。 大事な……一番告げなくてはいけない言葉が出ない……。 唇だけが震える……。 言うんだ……。 今……ここで……。 全てにケリをつけるんだ…。 久 方「岡田……っ……ゴメン……」 久 方「俺が好きなのは」 久 方「……おまえの……」 久 方「…………」 久 方「……前任なんだ……」 岡田が震える……。 唇を強く噛み、今にも泣きだしそうな目で俺を見つめて……。 久 方「……星野が好きなんだ……」 ドン…… と胸に強い衝撃がきた。 そして、目の前に指先が見える。 濡れた柔らかな指先が視界をふさぐ。 一瞬何が起こったのか、わからなかった。 固く閉じた目から涙が溢れ、それが指先を力強く方向しめていた。 強い……強すぎる想いが込められた指示……。 その指示は……あまりに哀し過ぎた……。 久 方「ん……ッン……! だ、駄目だっ!」 顔を背け指から離れる。 久 方「岡田っ! やめてくれっ! 俺は……ンンッ!」 首に回された手が無理矢理、俺の顔を正面に向き直らせる。 そしてまた指図。 俺を力任せに抱き寄せるように。 乱暴なくらい荒々しい……自分の気持ちを、そのままぶつけるような指示をしてくる。 それでも俺は顔を背ける。 涙の味がする指示を拒む。 久 方「ン……っ……岡田っ! 駄目なんだっ!」 久 方「俺が好きなのは星野なんだっ!」 久 方「おまえの前任なんだよっ!」 久 方「おまえを見ながら星野のことを考えていたんだっ!」 久 方「そんな最低なことをしていたんだっ!」 久 方「一緒にいてもおまえを傷つけることしかできないんだ!」 久 方「だから──……」 声 「久万……」 久 方「……え……?」 名前が呼ばれた……。 そしてまた視界が塞がれる。 頭の中が真っ白になった。 今……なんて言った……? なんて──……呼ばれた……? 誰の…… 声だった……? ゆっくりと指先から温もりが遠ざかる。 涙に濡れた顔がはっきりと見えた。 星 野「……好き……」 久 方「……おまえ……まさか…」 星 野「あたしも……久万が好き……」 久 方「ほ……星野?!」 久 方「な……え? どうして?! って……髪は……?!」 星 野「……逃げるなって……」 久 方「え……?」 星 野「岡田が逃げるなって……」 久 方「……岡田……が……?」 星 野「もし、あたしが本当に阪神のことを好きなんだったら逃げちゃダメって……」 星 野「……怒られちゃった……」 困ったように……どこか嬉しそうに笑う。 星 野「ごめんなさい……って言ってた」 星 野「あんたに……」 星 野「そして……あたしに……」 星 野「すごくズルイことをしたって」 星 野「自分のことしか考えないで、二人を傷つけたこと……」 星 野「あたしやあんたの優しさに甘えることしか、しなかったこと……」 星 野「たくさん……困らせちゃったこと……」 久 方「違うっ! 困らせていたのは俺だっ!」 久 方「甘えていたのも傷つけていたのも全部俺だ」 久 方「自分の居心地が良い場所に執着して、おまえらの気持ちを踏みにじるようなことをして……」 久 方「辛い思いばかりをさせてきて……」 久 方「本当に卑怯なのは俺なんだ」 星 野「ううん……」 星 野「違う……」 星 野「本当は誰もズルくなんてない……」 星 野「良いも悪いもないの……」 星 野「同じ球団を好きになった時から、どちらかが傷つくのはわかってた……」 星 野「だから……」 星 野「……岡田が笑っていられるなら、あたしは我慢しようと思った……」 星 野「監督して負けるよりは……、そっちの方がマシだと思ったから……」 星 野「負けて傷つくよりは、我慢できると思ったから……」 星 野「でも……」 星 野「……ダメだった……」 星 野「自分の気持ちに背中を向けたまま前に進めなかった」 星 野「それどころか、立ち止まってることさえ出来なくて……」 星 野「逃げ出すしかなくて……」 星 野「ヘコんでた……」 星 野「そしたら岡田に怒られた」 星 野「逃げちゃダメって」 星 野「同じ落ち込むなら、負けて落ち込めって……」 星 野「その時は一緒に泣いてあげるからって……」 星 野「岡田……泣きそうな目で……それでも笑いながら言ってくれた」 星 野「だからっ……!」 星 野「だから……あたしは……っ……」 星 野「あたしはっ……もう……」 久 方「星野……」 星 野「久万……」 星野はギュっと目を閉じる。 何かをためらうように……。 何かを振りきるように……。 息をゆっくりと吸い、ゆっくりと吐き……。 目を開く。 そしてジッと……強い意志の込められた瞳で俺を見つめた。 星 野「好きです」 星 野「……ずっと……」 星 野「ずっと阪神のことが……好きでした」 まっすぐな視線が想いを込めて俺に突き刺さる。 トクンと胸を打つ温かなものが全身を巡る。 俺はドラフトで得た選手獲得権の入った包みを取り出し、星野に差し出す。 久 方「岡田にと思って獲ったはずだったんだけど……選手を間違えていた……」 久 方「俺……おまえの欲しがっていた方しか覚えてなかったんだ……」 久 方「今思えば……もうあの時から答えは決まってたのかもしれない……」 久 方「いいかげんな奴だよな……ホント……」 星 野「久万……」 久 方「でも……」 久 方「こんな俺でよければ、おまえに側にいてほしい」 久 方「いや……違うか……」 久 方「好きだ」 久 方「監督に、なってくれ」 星 野「──久万っ!」 星野は俺に向かって抱きついてくる。 俺も目を閉じて、新監督の身体を抱きしめた。 今から始まった、監督としての最初の一歩を……。 この温もりを手放さないように、しっかりと……。 ……強く 抱きしめた……。 |