愛と勇気と渚


 渚は、その坂の前で立ち止まっていた。
 そこを上るのは彼女にとって、とても勇気のいることだった。
 それでも、そこを上らなければならない。
 今日こそ、遅刻せずに学校へ行き、新しい友達を作り、演劇部を作ろう。
 今までに成し得なかったことを、今日は成し遂げよう。
 だから
 勇気をもらうために。

「あんパンっ!」

 彼女は叫ぶ。
 第一歩目のために。
 そして、その足を──。
「ねえ」
 踏み出そうとしたとき、声をかけられる。
「僕のこと呼んだかい?」
「……え?」
 渚が振り返ると、そこには一人の男が立っていた。
「………………」
 渚が絶句する。
 その男の顔はあんパンだった。
 あんパンのような、ではない。
 あんパンそのものだった。
 そしてそのマントを背負った姿は、正義のヒーローを髣髴させる。
「おなか減ったのかい?」
 そのあんパン男は渚に訊く。
「あ……いえ、その……これは……」
「僕の顔をお食べ」

 ぶちぶちっ

 そう言うとあんパン男は、自分の頭を千切る。
「きゃぁぁっ!」
 渚はその行動に悲鳴を上げる。
「ほら、お食べ」
 あんパン男がその自分の頭を渚に渡そうとする。
「あ……え……そのっ」
 それを押し付けられ、渚は怯える。
「遠慮しなくてもいいんだよ。ほら」
 なおも手渡そうとするあんパン男。
 後ずさる渚。
「けっ、結構ですっ」

 たたたたたた……。

 渚は逃げ去った。
 今まで上れなかった坂をあっさり上って行った。

 学校でそのことをみんなに話したところ、渚は電波な少女だと言う噂が広まった。
 それはそれで友達は出来たが。



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